THE AMARIES資料館
HISTORY
01.結成
02.やじろべえ
03.トライアングル
04.デビュー
05.
06.
07.
08.
09.ショック!!
10.試行錯誤 前編
11.試行錯誤 後編
12.シーズンライヴ
13.「バンド」
14.勝負!前編
15.勝負!後編
03.トライアングル
今回は、THE AMARIESの「やじろべえ」的な関係が「トライアングル」になったお話。
1994年のある秋の日、3人はオカチンの運転するオプティに乗って静岡の街中へ。タケパンのギター、コーラスをつけるために必要なキーボード、録音用のラジカセを買うためである。
この頃、タケパンは原付事故により、愛用していたギターのボディに穴があいて使い物にならなくなってしまった。リーダーが楽譜を書いたりコーラスをつけたりするときにギターよりもキーボードが使いやすかったし、サトシから借りていた録音用ラジカセが壊れてしまっていた。
その道中、リーダーが2人に声をかける。
「ねえ、コピーやらない?」
「何をやるの?」
「アルフィー…。」
「…の何をやるの?」
「『明日なき暴走の果てに』なんかどう?」
「いいんじゃない。」
こんなかんじで初のコピーがなんとなく決まったような気がする。
3人はそれまで「お手本」のないオリジナル曲をやっていた。それはそれでとても楽しく、アカデミックな遊びだった。しかし、お手本がないということはゴールもない。どこまで練習すればいいのか分からなかった。
何曲かのオリジナル曲をある程度のところまで完成させると、リーダーは明確なゴールが見え、完成度も高いコピー曲をやりたいと思うように。コピー曲だと、音源というお手本がある。曲によっては楽譜もあるから、それを聴いたり見たりしながら練習ができる。さらに「お手本」を参考に、「ここはこうした方がいい」などと言いつつ現在の自分たちの到達度も分かる。完成すれば技術的にもレベルの高い楽曲となる。
だから、コピー曲をやるのはごく当然の成り行きだったといえるかもしれない。むしろ、素人3人が集まっていきなりオリジナルから入ること自体が無謀だったといえなくもない。しかし、「●●のコピーをやろう!」「●●のジャンルの音楽をやろう!」と集まったわけではない。3人それぞれの音楽性を持っていたわけだから、結成当初から共通の音楽をコピーするという活動は不可能だったのかもしれない。出会ってから半年の年月を経て、音楽的な「まとまり」が少しずつ出てきた。
そのコピーのはじめに選んだのが、リーダーだけでなく、タケパンやオカチンも気に入っていた『明日なき暴走の果てに』。初めてのコピーにしてはハイレベルな曲だったが、それに気付くこともなく、とにかくひたすら練習した。これでもかというくらい歌い、録音した。ほかのパートとバランスをとって…なんて練習はまだまだ先の話だった。
この頃は3人ともギターを弾いていたので、それぞれ0カポ、2カポ、4カポで弾いた。オカチンもしっかりアルペジオでまじめソングに参加していた。
納得いくまでに時間がかかったが、この曲を練習したことで、「どういうふうにやればコピーができるのか」というノウハウを学べたような気がした。
このあと、フラットピックで弾く『TEACH YOUR CHILDREN』(CSN&Y)、スリーフィンガーの『Don't think twice,It's all right』(PPM)を続けてコピーし、コーラスワークやギターワークのあり方を学んでいった。
結成して約半年。リーダーを拠り所にして、片方ではオカチンとの「コミックソング」チーム、もう一方ではタケパンとの「まじめソング(オリジナル)」チームだったTHE AMARIESは、3声コーラスと3人作曲体制によって、やじろべえではない、3人の小さなトライアングルとなった。
そして、そのトライアングルは、オリジナル(まじめ)ソング・コミックソングにコピーという「多面性(MULTIPLICITY)」に発展していく。ここに彼らの音楽性を示す「THE MARIES トライアングル」の根幹が完成した。
→04.「デビュー」