THE AMARIES資料館
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タケパン
【卒業ライブ パンフレット】より
1976年02月07日、●●●家の次男として●●県に生まるる。
THE AMARIESでは、ギター、ボーカルを担当し、華やかなコーラスには彼が必要不可欠5ヵ月である。
彼はすみやパソコンアイランド(スーパーアンドウ国吉田店向かい)、Tゾーン(ひまわり横)で見かけたという目撃情報もあったが、これは状況証拠であり、逮捕にはつながらなかった。
ところで彼の専攻は倫理学であり、その研究が彼の詞作りに生かされているということは、オカチンの詞と比べれば分かるかもしれないヤイヤイ。
「雨降って地固まる」という言葉があるが、彼はまさにその典型である。バンド結成初期の頃からの積極的な作詞活動・3フィンガー奏法の練習・原付でのギター破壊事故などの見えない努力は、そのほんの一例にすぎず、ほか約2名のメンバーは開いた口がふさがらないといわないまでも抱腹絶倒、百歩神拳(ラーメンマンが4年に一度見せる技)、臥薪嘗胆の毎日を送らざるを得ない状況に追い込まれつつある。
孔子が『論語』において、「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」と諭しているが、まさに彼はその典型で、「トランクがへっこんで開かなくなれば、フロントガラスを割れ」と実践している姿は、まさにジョン・デンバーの生き写しであり、「♪カントリーロード~この道ぃ~♪」と口ずさまずにはいられない。
オリジナルのまじめな楽曲の詞の多くは彼の手によるものであり、4年間のTHE AMARIESの活動の後半においては曲作りも積極的に行い、今回のライヴにおいても、その才能を発揮している。
趣味はビリヤード、ボディボード、ヒロシ&キーボード、『ポートピア殺人事件』(エニックス)など多彩であり、それらによって彼の中田(サッカー日本代表)ばりの戦術的視野を広げていると自分が惑わされていることが常に(always)ある。だから彼は言う。「卒業論文発表会、寝坊して遅刻したんだよ。」と。
【幻のファーストアルバム『MULTIPLICITY』(1994) ライナーノートより】
THE AMARIES第3のメンバー。主に作詞担当。
ギターはオカチンと同じく、大学へ入ってから始めた初心者だが、作詞は前からやっていたらしく、真面目な楽曲のうち約4割が彼の詩によるものである。
独特な言葉遊び、かけ言葉など、かなり技巧を凝らしたものが多い。オカチンやリーダーの詩には見られないテクニックである。詩の中に見られる情景描写も他の二人とは異なり、レベルの高さをうかがえる。
彼はあまり意識をしていないらしいが、彼の書く詩には、現在の社会を見つめたもの、今の生活と自分を認識しようとしているものなど、かなり社会性の強いものがある。
また、コミックソングにはほとんど関与せず、オカチンとリーダーに任せている。この二人だけだと、THE AMARIESはお笑いバンドになっていた可能性が高いが、彼がいるおかげでTHE AMARIESは多様性を持つバンドになっている事を忘れてはならない。
三人の中ではいちばん声が高く、そのためキーの高い曲は彼の担当のものが多い。コーラスでも上のパートは難なくこなすが、下のパートの低音域は歌いづらいらしい。
声に独特のクセがあるため、重い曲のメインボーカルは彼の受け持つことが多い。
不思議なことに、いつからともなくTHE AMARIESに参加していたという過去を持つ。バンドのカラー的にはスパイス的な位置になる。
確実にギターの腕を上げてきており、リーダーに頼っていた伴奏面でも多彩なアレンジができるようになった。